私は、40代半ばの既婚女性です。今でも続く田舎独特習慣の中で、父親のお葬式をしました。ここでは誰かが亡くなると、今でも近所の方がサポートしてくれます。今から3年前の春、私の父は病気のため60代で亡くなりました。家族みんなが覚悟していたことではありましたが、やはり気が動転してしまい、特に母はかなり落ち込んでしまいました。母は、信じられないくらいきつい言葉を口にするようになり、何度注意しても止まらない。私は、何度も何度も母を裏山に連れて行って、言動に注意するようにと伝えたのですが、ダメ。ほとほと困りました。しかしながら、お葬式の準備をどんどん進めていかなければなりません。私たち姉弟も、不慣れだったため、何をどうしたら良いかまるで分らない。そんなとき、近所の方が私たち家族を労わり、色々助けてくれました。近所のとある方が、クレイジーになっている母をとがめることもなく、広い心で接しながら、私に優しい声で「お母さんを頼むよ」と言ってくれました。喪主は弟だったので、全て弟が対応。色々教えてもらいながら、お葬式を行うことができました。私の家は、築100年以上経つ古い家で、子供のころはその古さに恥ずかしさを感じていました。しかし、父はこの古くて大きな家が大好き。農業一筋で田んぼと家の往復で生きてきた父は、ここが本当の意味でお城だったのでしょう。だから、亡くなる数日前までこの家で過ごすことができたのは、父にとって幸せなことだったのだと思います。父を火葬場に連れて行く車と、私たちが乗ったバス。ぼんやりしながら座っていると、細くて走りにくい山道を走りだしました。「え?」本当は、ちゃんと広くて走りやすく、火葬場に近い道路があるのですが、バスと車はなぜかこの道を通ったのです。不思議に思いました。でも、すぐに理由が分かりました。細い山道の向こうには、私のオンボロな家がある。バスと車が私の家の前を通る時、スピードがゆっくりになり、ブーっと長い長いクラクションの音が聞こえてきました。とたんに、私の目から涙がこぼれてきました。私に、お母さんを頼むよと言ってくれた近所の方が、家が大好きだった父のために、あえてこの道を通るように手配してくれたのです。もしかしたら、私は本当の意味でこのときに父の死を理解したのかもしれません。父がいなくなって寂しい気持ちになるとき、周囲の方の思いやりを同時に思い出します。
46歳女性が近所の方の優しさの中でお葬式をした記憶
