28年ほど前の実母のお葬式のことです。我が家は高台にあり、その頃の暖房といえば、小さな灯油ストーブのみでした。お通夜に県外の親せきが小さな自宅に集まり、久しぶりの集まりでまた地元の人も多く来てくださり、ちょっとした飲み会がどこそこで始まっています。伯母や叔父もまだその頃は、50代だったと思います。明治生まれの祖母も嫁が先に逝き、私の友人にも「これからもよろしくお願いします」と言ってくれました。私のお腹には、長男が五か月でした。切迫早産気味で、周りの叔母たちから「元気な子供を産むことだけ考えて」と言われました。妹は高3でした。だから、母の葬式の時、ほとんど私は、何もできなくて、おなかの子供にまで気持ちが向かう余裕もないくらいに高3の妹のことも近所の昔から知っているお隣のおばちゃんから「近所でお母さんが亡くなって、そこの子供は行方不明になったから、気を付けなさい」と言われました。本当に手作りのお葬式に近かったと思います。近所の方が本当にお通夜は夜遅くまでだれかれ問わず来てくださり、お葬式も自宅でして、お坊さんも祖母が毎月行って婦人会の活動をしているお寺さんで、その和尚様がとてもお酒好きな方で、飲んで帰られるような今では考えられない時代でした。11月なのにもう冬という感じで寒くて寒くて、ゆっくり寝ることもできなくて、久しぶりに会った一歳年下のいとこやその叔母たちや私の実弟が取り仕切ってくれて、父も好きなお酒を飲んでいました。空き家になった実家には、もう誰も住んでいません。祖母が毎日知らない間に草むしりをしてきれいに整えた庭と父が自分の趣味のために作った車庫の隣の部屋は、今も夫が草刈り機で草を刈り、車庫には夫のバイクが止まっています。父が最後一人になり、自由気ままに遊んだ私物が散乱し、知らない間に裏に小さい頃近所にいた女性が結婚して住んでいました。父が一人暮らしする頃からもう住んでいたそうです。今もその女性が車庫の外の県道沿いの木が伸びると女性のご主人が切ってくださいます。そんな風にいまだに私が知っている人が暮らしている田舎にはまだ母の葬式に来て下さった方々も高齢になっても暮らしています。私たち夫婦は母の葬式の頃のような近所付き合いはありません。どういう葬式になるのか考えてみる時、母の葬式を少しだけ思い出してみました。
56歳女性 実母が他界した56歳になり、実母の葬式を思い出す
