30歳女性独身です。私が中学2年生の時、父方の祖父が亡くなったのでお葬式を行ないました。ただ、当時から私達家族と父方の親族は拗れた間柄でした。と言うのも祖母が母を極端に拒絶しては忌み嫌い、姑として嫁をいじめていたのです。そして孫である私と姉のことも嫌っていました。両親は、父が大学生の時に母と出会い交際を始めたのですが、父が大学を中退してしまった過去が起因していたそうです。祖母曰く父が中退したのは全て母の責任だ、男を誑かした惨めな女と決めつけては母に直接文句ばかり言っていたのです。また母が子供の頃に片親となった事も気に入らなかったようで「貧乏な家の惨めな奴」と悪口を言っては様々な嫌がらせをしていました。そしてその母の血を引く孫の立場の私と姉すら忌み嫌い、子供の頃から一度も正月にお年玉を頂いた事がありませんでした。お年玉は貰えませんが電話で小一時間程祖母と話して正月初めから悪口を言われ続ける、という慣習が我が家には幼少期から定着していたほどです。勿論祖母と祖父の家に帰省すると家の中で居場所がありません。ダイニングテーブルには母と子供達は座ることを許されず、夕食は別々に取っていました。帰省した際に私が転んで怪我をした際もバンドエイドを貰えず、「お前たちの金で買って来い」と祖母に言われコンビニへ買いに向かったことも苦い思い出です。それ程までに祖母は母を極端に嫌っていたのです。そんな中祖父が他界し、お葬式を行なうにあたって案内状を作る事になりました。父は長男なので案内状作りを率先して行ない、祖母と叔母と相談しながら作成していました。勿論母も葬儀の準備に奔走していました。ただ母は案内状の作成に参加することを許されていませんでした。その間は私と姉で祖母の家事を全て担い、率先して手伝いをしました。祖父の死が両家の歪みをより深くしていると空気で察したので、子供ながらに手伝えることは自分からやろうと思ったのです。勿論祖母に少しでも自分達に良い印象を持って貰えるように奉仕しようという気持ちもありました。そして案内状が完成し、私達家族の家にも案内状が届いた時の事です。案内状を開いた母が絶句していました。私がどうしたの、と聞くと母から「親族欄に私の名前が無い」と言われたのです。案内状を実際に見てみると喪主である祖母の名前を筆頭に親族の名前が続くのですが、叔母は旦那さんの名前とお孫さんの名前まできちんと明記されているのですが長男である父だけは父の名前で終わっていました。つまり長男は「独身」であるかのように書かれ、妻と孫の名前が削除されて排除されていたのです。明らかに父は単身者で家族を持っていないという書き方で、母子共々祖母から存在すら認めて貰えていないと痛烈に実感しました。それだけでなくお葬式でもなんと母と私達子供は親族の座る場所に座らせて貰えなかったのです。葬儀は家族葬で行ないましたが、それでも家族の輪から排除された形でお葬式に参加することを余儀なくされたのです。当時中学生だった私も流石に違和感と怒りを感じ、そこまで母を憎む祖母の気持ちを理解することが出来ませんでした。ただ祖父が亡くなって急いで帰省した際も祖母が「到着が遅すぎる!」と私達家族に怒鳴って我々に土下座を要求していました。勿論孫の立場である中学生の私も祖母に向かって頭を付けて土下座しました。そのまま申し訳ございませんでしたと何回も謝罪したものです。そしてその夜は父のご遺体が納められた棺を安置した葬儀屋の一室で過ごすよう祖母に言われ、祖母の家に泊めて貰えませんでした。無論食事も自分達で用意しましたが、そもそも帰省の便も仕事を止めて急遽帰ってきた父と飛び乗った夜の便でしたので、到着時間は深夜であり特に遅くなった理由もありませんでした。それでも祖母が帰って来るべきと勝手に定めた時間を過ぎた事で土下座を求められ、家に上がることも許されなかったので本当に悔しく理不尽な気持ちになりました。このような出来事が起きた上に案内状から母と私達の名前が排除されたとなると母も堪忍袋の緒が切れて、お葬式を終えて都内の家に帰ってからは一度も祖母と連絡を取らなくなりました。私はその後高校3年生になるまで正月の電話を続けましたが以降は自分から電話に出たくないと父に申し出ました。あれだけ子供の頃から祖母の悪口に耐えて、子供なら当然貰えると思っていたお年玉を貰えない事に違和感を感じて成長し、かつ母が祖母から罵倒される様を度々見せられてきたのでお葬式の案内状から名前が排除されていた事実は屈辱的でした。勿論もっと小さい年齢の頃からどんな扱いを受けても祖母に気に入られるよう振る舞っていれば、母もここまで虐められることはなかったのではと後悔もしています。また母が罵倒されているのを静観していた父に対し、祖母に注意してくれともっとおお願いしていればと後悔しています。お年玉について私から父に何か言う事はなく、むしろ母が「孫にお年玉をあげるのは通例なのだから貴方からお母様にお願いして欲しい」と代弁してくれました。なので母への悪口については私が父に注意を促すよう何度も頼み込んでいました。ただそれも十分ではなかったのかもしれません。思い返せばもっと祖母に奉仕すれば良かったという事に尽きます。しかしその反面でそれではまるで奴隷じゃないか、と人格否定を真に受ける事に抵抗も感じていました。姑が嫁を虐めるというのは世間では当たり前と言っても過言ではないでしょう。今嫁の立場にいる方や交際中の彼氏のお母さんに良く思われていない方が居ましたら、早期に関係性の円滑化を行なうべきだとお伝えしたいです。一方的な虐めを一人で解決することは出来ませんし、かと言って虐めてくる姑と面と向かって話し合うことは相当難しい事です。今後の関係性を左右することにも成りかねません。しかし私の母のように一度忌み嫌われると姑はとことん家族の輪から排除して来るでしょう。絶対にとは言いませんが両家の関係が異常な程悪化する恐れも十分にある事、これを解決するためには悔しいですが嫁の方から歩み寄って姑と話し合う事が重要になる事をお伝えしたいです。祖父のお葬式のように最悪の場合葬儀で親族席に座る事すら許されないケースもあると悪い事例としてお伝えします。
30歳女 姑から母子共に虐められ、祖父の葬儀では他人として扱われる
